バングラデシュの家族

2012年12月の「ナルクいちょうの会」機関紙から。

お母さんは滞在中ずっと民族衣装でした
『この11月、造幣局がバングラデシュの通貨タカのコイン製造を受注した、と報じられた。一割増しで嬉しかった。同国からも、一組の夫婦が一時期ここに住んでいた。

略してヌルくん、は忙しくていつも風のように駆け抜けて行く人だった。彼が留守にしていたある夏の夕方、奥さんのリンダさんが私たちを食事に招いてくれた。途中で彼女は気分が悪くなってきたという。鰯を解凍したところだったので、そこからバトンタッチをして主人の言う、“私の十八番中の十九番”「鰯のソテー、カレー風味」をメインにした一皿を作った。

大阪高等裁判所前で
「風邪だと思う」と薬を飲みながら、鰯を手開きする私の手元を一心に見ているリンダさん・・・義母の手元を度々凝視していた自分の昔の姿そのままの、なにやら憶えのある新妻ごころそのものに思えた。

彼女のご両親が晩秋の頃来日された。二人が用事で不在になるという日曜日、彼らに代って主人と私が夫妻を近辺のどこかへ案内することになった。お父さんが裁判官と聞いていたので先ず大阪の裁判所へ車を進めた。しかしその日はあいにく門は閉まっていて、日本の国旗も掲揚されていなかった。それでも、日本語で『大阪高等裁判所』等と記されている文字を示すと「この前で写真を撮りたいので すが」と言われた。



大阪城を背景に
あとは大阪城を案内し、OBPの中のレストランで食事をした。主人がその近くにあるナショナルのショールームを、結構面白いんじゃないか?と言うので一緒に見て回ったりした。館内でお話しする中で、私たちは同国の通貨が“タカ”だと初めて知った。

帰国されて程なく、お母さんから小包が届いた。開けてみると、ネクタイと彼女のお得意の手芸品が数点入っていた。お父さんからは、最高裁判事の肩書付きで署名されたクリスマスカードが送られてきた。そしてタカ紙幣が2種類同封されていた。どちらも透かしの図柄はトラである。

年が明けてヌルくんは厳しい競争を勝ち抜いて、交換留学生として米国UCLAで学ぶことになった。彼が飛び立ってひと月程して、生活基盤ができたところでリンダさんも彼のもとへ嬉々として発った。』

珍しいバングラデシュのXmasカードとタカ紙幣
封筒の裏には裁判所のスタンプがあります
イスラム圏の人がエルセレーノに住むのは彼らが初めてでした。それまでにも、友人でアフリカからの人たちやカナダ国籍パキスタン人を知っていて、食べ物についての決まりがあるのはよくわかっていました。
しかし、妻の両親に対する礼儀、は日本でもありますが今はそんなに厳格ではないと思います。
ところがヌルくんが私たちの前でたまたま見せた義理の父親にとった礼は「これがイスラムなんですね」というようなものでした。とても厳粛な気持ちになりました。



友人のアフリカ人(スーダン国籍)と話している時などでも、(イスラムの人って優しい心の人が多いのね)と度々思っていたので、世界の多くの人がイスラム教信者に対して抱いているかも知れない昨今のイメージはとても残念に思います。

留学生とのことはまた掲載したいと思いますが「ナルクいちょうの会」の機関紙からの抜粋はここまでとします。






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