桃の進くん
このこではありませんが、こんな可愛いこでした。 |
隣室の人がどこかで拾ってきたのだが、餌を満足に与えていないらしいその人に任せておけない、とヤンさんは憤慨するのだった。
しかしルール違反のまま置いておけないので、一緒に飼い主を探すことにした。箱に仔猫をいれ「可愛い仔猫差し上げます」などのチラシを作り、少し離れた地域の商店街や人の多い公園などへ二人で出かけた。一人のおばあさんが欲しいというので、一緒にその人のお家へ行った。そこには猫が多数いて、一匹づつケージに入れて積み上げられている。一旦渡して帰ったが、あまりにも普通の飼い方ではなく可哀想だと、ヤンさんは翌日取り返してきた。
それからはインターネットで引き取り手を探し、ようやく可愛がってくれそうな若い女性を見つけた。和猫ながらブルーの目をした、ハンサムで賢いとヤンさんの言う仔猫ちゃんは『桃の進』くん、という大時代な名前を付けて貰ったそうな。「桃ちゃん、元気にしてるみたいですよ」とヤンさんは時々教えてくれた。「淋しくなったわね」というと「私には他にペットがいますから」といたずらっぽく笑うヤンさん。
彼女は、もともと中国では臨床外科医であった。何かの事情で転向し、日本では大学の医学部で研究していた。平日だけでなく土日も研究室へ通う日々だったようだ。毎日養分を与えないと彼女のペット(細菌)が死滅してしまうからである。
研究医としての約束の期間を終え、名古屋の大学へ移った。元気にしているかしら、と思っていたら久々に連絡があり、米国の大学で研究することになりました、とのこと。「出国する前の忙しい時期に電話をありがとね」と言う私に「日本で電話をしたいと思う人は他にはありません」と答えた。 彼女もまた、数々の思い出を胸に刻んでこの町を巣立った人だったのだ。一助になったのであれば幸いに思う。』
その後、ヤンさんからの連絡は途絶えてしまいました。米国での研究生活がうまくいっていればいい、と元気でいることを願っています。二人姉妹でお姉さんも米国で研究しておられると聞いていました。ご両親が日本に来られて、我が家でお父さんが餃子を作って下さったり、私の家族と一緒に大阪城へピクニックへ行ったりの楽しい思い出があります。いつかまた会いたいな。。。
中国からの留学生は何人か知っていましたが。。。私の良く知るギ君は「エルセレーノ」のような住宅に入れなかったのか、或は事情があってか!?天神橋筋5丁目辺りのマンションを借りていました。
返信削除昼は京都のK大学の大学院生で夜は、深夜までラウンジでアルバイトをしていました。
私は時々そのお店に出入りしていましたので、次第に親しくなり店が”跳ねた”あとなど、新地の「青冥」で食事をご馳走したりして居りました。
彼は日本文学俳句の「蕪村」の研究者でもあって、勿論日本語はしっかりしていましたし、実家のお父さんは蘇州電視台の社長です。。。と云っていましたから、裕福な家庭だったと思います。
日本での就職は一般企業大手と大阪の某大学の講師の道が有るが、Mさんどうしたらいいでしょうか?相談を受けた事を想い出しました。
その後も時々会食を共にして居りましたが。。。
10年前に私の自宅購入に際して、祖国父上に頼んで蘇州で著名な書道家による掛け軸用にと一筆「揮毫」して貰って、お祝いにと送ってくれました。
その一筆は早速表装に出して少々お高く付きましたが、今我が家の床の間を引き締めてくれている次第です。退職後連絡が途絶えてしまっておりますが、ハイカラなcity boyでした。今、どうしているのかなぁーと。思います。。。
「エルセレーノ紅梅町」と言う住宅は、大阪府内にある大学に私費で通う学生でないと入居できないんです~京都の大学に通っている留学生は無理ですね…
返信削除日本で色々な勉強をしている外国からの人たちに接している日々ですが、日本文学を勉強している人には特に親しみを感じます。ちょっと珍しいのですが、、、日本人として、こちらの根っこのところを分かろうとしてくれているような気がするのです。そこまでの意図はないにしても嬉しい気がします。
そのcity boyさんどうしてらっしゃるのでしょうね。。。