日曜日のお客さま


日曜日は早朝からプールで泳いで帰途、駅に一番近いスーパーで買ったお魚で、お昼にお鍋をしました。最後にはいつもはおじやにするところを、茹でておいた富山の叔父からの氷見のうどんと、卵と青ネギを入れていただきました。

K君、後のお軸の画は、彼の今は亡き叔父(伯父?)さまが
描かれたものです。軸画に合わせて襖の色調・柄を決めました
(あー、美味しかった!)とまさにお箸を置いたとき、ピンポーンとドアホンが鳴り、モニターに男性が映っています。(エッ、日曜日に・・・、誰?)と思いながら、「ハイ」と応じると「○○○です」との聞き覚えのある声、懐かしい名前!!!

我が家に現れるのは夢か幻か・・・という位、一瞬前までは日本と台湾、という遠距離の向こうにいるはずの人でした。バタバタとその辺りを大雑把に片付けながら、トントンと階下に降りてドアを開けました。「エルセレーノ紅梅町」が始まった平成12年に2階に入居した日本語学校の生徒、K君でした。

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K君の入居期間は1年でしたが入居早々、友達の友人が近所の電気工事会社の入り口付近にあった自転車の空気入れを無断で持ち出そうとしました。
その会社の社長さんがそれを見つけて襟首をつかんで怒りながら道路へグイと押しやったという事件がありました。

その時、K君が「自分が友達の代わりに謝りに行きます。」と言うので、私も付き添いました。
彼は社長さんに深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べましたが、彼の謝罪がなければ町におけるエルセレーノの印象は、立ち上がった早々から悪いものになったことでしょう。

その事件で大勢の入居者がいる中、彼の存在をはっきり認識しました。それからしばらくして「もし、なんか緊急の困ったことがあったら、大声で僕を呼んでください。僕は2階だから聞こえます」と言ってくれたのを忘れられません。同じ時期に入居していた他の3人の人達と4人で我が家に来たり、どこかへ遊びに行ったりしましたし、彼が大学へ進学してからも大学祭に主人と一緒に招待してくれたりして、退去してからも交流が続きました。

しかし近年、音沙汰はありませんでした。一昨年ずいぶん久し振りにクリスマスカードが届き、返事を出して以来やり取りはありませんでした。今回、話の中で彼が「去る者は追わず・・・ですね」といみじくも言い、私は「そうかも」と答えましたが、その通りと言えます。
 
誰に対しても意識してその姿勢を貫いて来ました。彼らは前に進まなくてはなりません。いつまでも私が関与できるものではないし、邪魔をすることは避けなければ、と思っています。向こうから何か言って来れば喜んで応えることにしています。私で役に立つなら大いに、喜んでお手伝いしたいです。でも彼らの負担になるようなことには断じてなりたくないのです。

その日は伊丹の友人宅に泊まることになっているから、と言うので4時ごろ見送りました。

京都の大学時代、一度我が家に泊まったことがあるのですが、以前より日本との行き来が気安くできるようになったので、また泊まりに来ますと満面の笑みを残して我が家を後にしました。

17日(火曜日)にラインで連絡があり、阪神淡路大震災の慰霊行事に参加していると写真を送って来ました。一番寒い時期に日本に来て行動的な彼に風邪も弾き飛ばされるでしょう。

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