あの日から5年が経ちました

平成23年3月11日、前年に夫を亡くした私がようやく以前の活動に復帰できるようになっていました。その日は本町のビルの15階でボランティアグループのサークルの一つ、コーラス部の活動日で唱っていました。突然床が大きく横揺れしたのですが、天井からぶら下がっているものが無かったので、どのくらい揺れているのかわかりませんでした。しかし、私がその部屋の隅を見るとラックに吊るした部員のコートがユーラリユーラリと大きく揺れていて、「見て、ホラ!」と言ったのでした。

そのうち、隣の部屋にテレビがあることがわかり、みんなでなだれ込むようにテレビを観に行きました。あんなに揺れたのに何と震源は東北だとわかり愕然としました。自宅の近くの友人に電話をして「あんなに揺れたけど家、大丈夫かしら?」と訊くと「え、地震?知らなかった~」と言いました。
彼女は1階にいたので揺れず、全然気が付かなかったそうでした。先ずは安心でした。

しかしその後の展開は東北の方々には大変なことでした。せめて地震と津波だけであったら、と何度思うことでしょう。元の生活に少しでも近いものにするには、オリンピックなどに予算を割いている時ではないような気がするのですが、、、また原発の再稼働なども考えられず、40年を過ぎた原発を再稼働させるなんて無謀と言うしかありません。その上、外国に原発を輸出するような恥ずかしいことをどうしてできるのか、わからないことばかりです。

先祖から受け継いだこの素晴らしい日本の国土と、素晴らしい日本人を、未来の日本人にそっくりそのまま引き継ぎたいものです。

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