鹿路(ろくろ)という土地

上の方に桜井駅があり、
右下の方位マークの少し上に
〇で囲っているのが鹿路
近くに談山神社や多武峰があります
仲良くしている韓国人留学生Kさんが日本での留学を、博士号の論文の提出を終えたのを機に、早目に切り上げて英国に短期留学をすることになりました。
英国への出発が今週半ばと迫った先週「お世話になった方たち・友人・家族にお土産を買いたいのですが、その一部を用意するために奈良県桜井市へ行きたい」と言ってきました。

聞いてみると、その地で吉野杉を使ったボールペンを作っている工房が、桜井の『鹿路』と言う所にあるというのでした。テレビでそのペンや工房の様子を見て、とても気に入った彼女は桜井駅前に作業所兼お店がある、と思っているようでしたが私の受け取り方は違いました。
桜井市は奈良市から桜井線に乗り換えて行くところです。そして桜井市内でしょうが『鹿路』とあるからには鹿の出没する場所であるに違いありません。そんな辺鄙で遠い場所へ一人で行かせられません。「私もそんな珍しいペンの工房見てみたいから行こうかな」と言って付いて行くことにしました。

案の定、桜井からバスで20分、降車してから山道を長時間歩かねばならない、と工房で言っている、とのことでした。でも桜井駅に着く時刻を知らせておいたので、駅前のパン屋さんでパンとお紅茶を買いお店の前の床几に腰をかけて、パンをかじっていると女性が車で迎えに来てくれました。寒い中でもあったので幸いでした。

駅前から少し離れると、家並みはあるものの人影はなく、道路はあるが車は通っていず、という景色が多くなりました。その内山道に差し掛かり、舗装していない道路はどんどん山懐へ入って行きました。もっと高く、もっと山奥へ・・・行くのかな、と思っていたら停まりました。
切り出した杉の原木が、トラックの上や製材所らしき建物の中に積まれています。「ここだ!」「着いた!」と思いました。近在の山々は杉と桧が植えられているそうです。この辺りの高さは500m。

工房はそれ自体、内側に杉の板が張り詰められています。天井と一面の壁は杉の磨き丸太を半分に割ったもので覆われていました。「出来上がった頃の工房は杉のいい香りがしたでしょうね」と私が言うと、御主人は「ほんとに、そうでした」とおっしゃいました。

Kさんは結局14人の職場の上司、同僚、大学のお世話になった先生など、それを使って欲しい方たちの名前を入れてもらうことにしました。そして私が「私も買います」と工房のご主人に言っている横から「14人の中にはアオヤナギさんも入っています」と言って譲りません。根負けして任せることにしました。事前に調べたインターネットでは、価格は幅があったようですが、ここでは一本2500円+ネーミング代(800円のところ500円にして貰いました)で3000円でした。
素直な彼女はペンをとても気に入り、盛んにそのことを口にしてご主人を喜ばせました。
これは私が選んだ橡(とち)の木で出来たペンです。
杉の木目は美しいのですがこのペンも素敵に思えたので。
ペンの替芯は米国クロス社のものが使われています
主に韓国の人の名をアルファベットで記すのですが、彼女がパソコンで入力し、機械を連動させて字を刻んでいくようでした。


別室でKさんとご主人が作業する間、私と奥さんは世間話に花を咲かせました。この集落は無論古くからあり、このお宅を入れて4軒が宮垣内(みやかいと)という小さな単位で、あと数軒づつが上垣内と下垣内、計16軒で鹿路(ろくろ)という集落を形成しています。宮垣内の家々の後ろには天一神社という社があり、御神体は神社の囲いの内の樹齢何百年という杉の木なのでした。
                                  


全国に垣内(かいと)という小集落が多数ありま  
すが、私は今回非常に分かり易く名の由来を知ることが出来たように思いました。
村の在り様が“垣内”という村の名前を体現しています。


奥さんはその小さな集落での親戚付き合い・近所付き合いの大変さ、大切さを話してくださいました。とても静かな感じのいい話しぶりの方で、帰りに桜井の駅まで送って下さった時、「また来てください、もっとお話ししたいです」とおっしゃっていましたが、私もそんな気持ちがして、握手した彼女の手を「お元気でね」と握り締めていました。。。

山を守り、山と共に生きてこられた里なのでしょう。
この後、雪がふんわりと山里に舞い降りてきました。


 Kさんはその後、「始めからあんなに遠い所だ と知っていたら行きたいと思わなかった」と言いました。「でも、とても楽しくいい思い出になりました」とも言っています^^。




コメント

  1. ウアー近いです。私の本籍地とです(^o^)父の実家で子供の時、何度か訪問していた記憶が有ります。当時は「桜井」か現在両親の墓所のある「榛原」からバスで、一日ガカリで、本数が少ないため必ず一泊していたようです。

    所謂「本家」ということに成りますが、その後自宅も移転して従兄弟の代に成りますが、長い間M製材所をしておりました。今は「伊勢街道筋」三茶屋と言うところです。(’-’*)♪

    婚姻のときに大抵は戸籍も移転するものですが、何故か兄弟の中でも私だけ「本籍地」になって居ります。(^_^;)

    勿論兄と本家は交流が少しありますが、今どきのこと私はもうありませんし、父方の祖父とは会った事は有りません。。。

    そうなんです‼奈良県吉野郡吉野町です⁉「懐かしい」ですね。自分の「ルーツ」調べたときも有りましたよ。笑っ(’-’*)♪

    因みに私の実家は自分が小学五年生のときに、父方の兄弟や親戚で建てた模様ですが、母は「総檜造り」だと!柱や玄関さきを「磨いて」居たのを想い出しました(#^.^#)

    早いものですね「台風」「地震」にも耐えて60年の月日が流れています。(^o^)/~~

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    1. エーッ、そうでしたか~!奈良県吉野郡吉野町・・・本籍変えたくありませんねぇ、私もそうだったら変えませんね。

      そうですかぁ~ご実家は「総檜造り」なんですね、すごいです。新築後何年か、檜のいい香りに包まれていらしたんですね。私は一時期、檜の分厚いまな板が自慢でした~^^

      御両親のお墓、遠いということでしたが榛原なんですね。ちょっと行きにくいかも知れませんね。。。

      近鉄沿線は“歴史の宝庫”ですが、JR桜井線も駅名一つにハッとすることもあり、地名や駅名は“いにしえ”からの名がもうそれだけで宝物・・・という思いがしました。

      Kさんのお蔭で思いがけない所へ行くことが出来ました。
      そのKさんは今朝9時20分にオクスフォードに向けて飛び立ちましたが、私は関西空港まで4時起きして送って行ったのでした。。。3月に日本に立ち寄ってから韓国へ帰ります。

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