人を支える見えない力
日本中の大相撲ファンが溜飲を下げたと思われる、終ったばかりの春場所です。
表彰式で涙を流した稀勢の里 (毎日新聞から) |
よもや怪我をした稀勢の里が優勝するなんてことを13日目が終わった時、誰が想像したでしょうか?!
14日目はてっきり休場すると思っていたのに、出て来たので驚きました。あっけなく鶴竜に敗れてしまいましたが、出るだけでもえらい、とみんな思ったでしょう。
それが、15日目、千秋楽の番付本来の取り組み(本割って初めて知りました)で巨漢照ノ富士を倒し、相星としました。そして優勝決定戦に進出、本割と同様の不利な体勢から勝ちに持ち込んだのでした。
久しぶりの日本人力士の横綱誕生、横綱初戦での初優勝・・・テレビ観戦して祈る思いで見守っていた千秋楽の日、私は二番とも思い切り拍手をし、涙が流れ落ちました。大相撲の歴史に残る取組であり、稀勢の里でしょうね。
翌日の記者会見で稀勢の里は「館内の歓声がこれまでに聞いたことのないような歓声だった」と言っていました。その歓声に後押しされた、とも言っていました。
ファンの声に後押しされるとか、勇気をもらうとか、イチロー選手やテニスの錦織選手も似たことを言うのを聞いたことがありますが、本当なんですね。私はファンに対するリップサービスだとしか思っていませんでした。
でも、私もある種似たような経験があります。自分が褒められたのではありません、、、残念ながら。。。
プールには車椅子の男性も通ってきています。ある日、その人が泳ぎ終わって車椅子でプールサイドを引き上げ階段に差し掛かった時、係りの若い男性は見ていた筈なのに手助けに行かなかったのです。
翌朝「一生の思い出となる大阪場所だった」と語る稀勢の里 (毎日新聞から) |
泳ぎながら心配していた私が(自分の出番…)とプールから出ようとすると、プールサイドの離れたところにいた女性が駆けつけました。その女性の対応が普通だと思います。私は男性の係員に心外な思いを抱き、気分が悪くなるほどでした。
別の日、車椅子の男性が泳ぎ終わった時、女性の係員がさりげなく「お手伝いしましょうか?」とごく自然に車椅子を持ち上げて階段を降りて行きました。私も一度お手伝いをしたので、その車椅子が存外軽いことを知りました。そして階段の数は10段くらいでしょうか。元気な人ならなんでもない車の重さと階段です。しかしその人は、水中では上手に泳げても水から上がると弱々しい風で、誰でも手を差し伸べずにはいられないと思います。
女性係員がお手伝いするのを見て、私は安心し、とても気持ちが良くなって、その頃クロールを25m泳ぐのは厳しかったのですが、楽にスイスイと泳げたのです。それで(スポーツをする時、いい気分でいると思いがけない力が出るのかな)と思い至りました。
そのことでスポーツ選手がファンの声援を期待する言葉も理解できたのでした。
今回の稀勢の里の優勝も、ご本人の言うように大声援が一つの誘因となったかもしれませんね。
自分を認めてくれる人がいる、褒めてくれる人がいる、それは大きな力となって人を支えるのでしょう。単にスポーツ界のことだけではないのでしょうね。
自分を認めてくれる人がいる、褒めてくれる人がいる、それは大きな力となって人を支えるのでしょう。単にスポーツ界のことだけではないのでしょうね。
『車椅子の男性のことを後日友人に話すと、「多分その人は〈人の手を借りなくても自分で全てできるから〉と、それを条件にプールの申し込みをしたんじゃないかしらね」と言いました。そうかも知れませんね。若い男性係員はそれを知った上での対応だったのかも・・・』
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