北陸への旅
先週金曜日、いつ降り出してもおかしくない空模様の朝8時過ぎ車で自宅を出発しました。
直ぐに高速道路に入り周りに合わせて走っていると制限の80㌔を軽く突破、更に雨が降り出した中、かなりの高速が出ているので「大丈夫?」などと声を掛けると「今日は富山迄300㌔を行くんだよ」に(そうか、300㌔…大変ね)と思いつつ「うん」と返します。
近畿圏を離れると空は灰色ながら雨は落ちて来ず、ひたすら緑濃い山や畑そして田植えが終わり水を張った美田の広がる農村風景を見ながら目的地に進みました。息子が何度も「見て!綺麗だよ」と水面の光る田んぼを観ながら感動したように言うのでした。車窓から見える立山連峰には雪渓が残っていて美しく、ずいぶん久し振りにこの雄大な連峰を眺めることが出来たのは望外に嬉しいことでした。
富山県東北部に船見という土地があり、加賀前田家の藩主が参勤交代の折にそこで宿泊された本陣がありました。元はN家がその役を担っておられましたが、明和2年(1765年)N家の向かいに屋敷のあったW 家がその任を引き受けた、と郷土史に載っています。 今は本陣跡は石碑が立っているだけで分家の従兄が一部の遺構を、自分の家を改築して2階に殿様の逗留されたお座敷を移して保存している状態です。
近所のお家に軽自動車が止まり、小柄な年配の女性が降りて来られたので近寄って、自分はこの家の親類のもので大阪から来ました、と先ず話しました。そして「この家の2階には前田のお殿様が参勤交代時に泊まられた際の本陣のお座敷が移築されているんですね」と言うと、ニコニコして「そうですよ」と言うことでした。さらにこの家の当主のW氏は、夫の母のお通夜の日に大阪へお参りに来られたこと、その後何年か経って15,6年前に亡くなったことなどを話すと、私を信じてもいいと思われたのか、色んな話をして下さいました。
夫の従兄、W家のTさんは医師でしたが、彼には3人の男の子がいて、3人とも東京の大学を出た後、やはり全員が東京で医師となったと聞いていました。その女性によると3人とも故郷には帰って来ず、東京で活躍しているそうです。女の子も2人いて次女が毎月のお父さんの命日にお参りに実家に帰って来ている、とのことでした。 屋敷は広い敷地に何棟も建っていて、前田公の宿泊されたお座敷がある一棟は少し趣きが違って、優雅な雰囲気の中にひときわ格式を備えているように思いました。 医院はそれらのお屋敷と道路を隔てた向かいの、瓦屋根が何層も重なったお家がそうだったと教えて貰いました。
普段、屋敷の周りの清掃や竹林が広がらないようにとの手入れは、近所のもう一軒のお宅と一緒に「先生にはお世話になったから」と、その女性も面倒を見て下さっているとのことで親類としてお礼を申し述べました。
女性の「次女の○○子ちゃんにあなたの来たことを言っとくからね」「7月1日に花火大会があるからまた来なさいね」の声に送り出されて私たちはその地を離れたのでした。
明治31年5月発行の冊子挿絵「旧国主前田公御本陣之景」 前述のように現在この御本陣は無くなっていますが、船見のその跡に石碑が立っているらしいのです。 行けませんでしたが…帰路、金沢にも一泊し大勢の観光客に混じって繁華街や、昔歩いた犀川の畔を散策しました
この回を以って十年間続いたこのブログを終らせて頂きます。拙い文章を読んでいただいて誠に有難うございました。
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