上海から
1月1日、海遊館からの帰りにKさん家族を梅田にあるホテルに送って帰宅後、昼食の片づけと洗い物をしていました。家の電話が鳴り、モニターには桁数の多い相手の電話番号が表示されていました。数字の多さに圧倒されていると息子が「中国からだよ」と言い、「それじゃ」と受話器を取ろうとすると切れてしまいました。しかしスマホが鳴り始め、数字は同じ番号のようでした。きっと”元留学生”だ、と確信しました。
「もしもし…」と出ると、「アオヤナギさんですか?Rです…!」と懐かしい名前が告げられました。留学生住宅が立ち上がった初年度に入居して来た中国からの元留学生です。奥さんのSさんと一緒にファミリータイプの部屋に住んでいました。「奥さんと子供さんもお元気?」と訊くと「今、別々に暮らしています」という穏やかならぬ言葉が出て来たので「えっ?」と訊き直すと「家族全員コロナに掛かってしまったので・・・」とのことでした。 中国には中国のやり方があるようで「そうなの」と返事しながら話を続けます。
彼らが留学生住宅に来たときは学生結婚したばかりで、二人は日本語学校で知り合ったとのことでした。彼は中国人、彼女は韓国人です。彼女は利発で可愛い女性でした。その彼女を獲得するために学校で日本語を学ぶ一方、彼は独力で韓国語を勉強し、韓国の親御さんに「娘さんを下さい」とお願いに行ったそうです。
その奥さんのSさんは入居後しばらくすると彼の帰宅を待つ生活を送らず、奈良県の女子大、そして三重県の大学院へと夫の「国立大学でないとダメ」という言葉を守り、週末同居生活を送るようになりました。年齢的には二人共二十代後半になっていました。
奥さんのSさんには日本で語学学校を経営している先輩がいて、同様にしたいらしく私に色々相談してくるのですが、私にはその方面の知見が無いので都度感じた事だけを話していました。
その内夫のR君が日本企業に就職し、中国の支社勤めとなった後、いよいよSさんが活躍し始めます。上海で日本語学校を設立し夫を巻き込んで経営して早や15年以上が経ちました。今は学習塾も併営しているそうです。もう事業は本物なんだな、と安心しました。
2000年に留学生住宅が出来た時に知り合い、他の留学生たちと神戸のルミナリエや、赤目四十八滝を見に行ったり、R君の巻き込まれた交通事故の後ちょっとした面倒を見たり、色々ありました。この夜、「アオヤナギさん、久しぶりに会いたいです」というR君、「声も全然変わらないじゃないですか」と言ってくれるR君、スマホで彼の声をオープンにしていたので全部息子が聞いていて「お母さんの事、皆大事に思ってくれているんだね」と言いました。
私も仲良くして来た留学生をとても大切に、自分の目と心を大きく開いてくれた掛替えのない仲間と思っています。
赤目四十八滝散策。右からR君、台湾からのK君、私、Sさん
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