目の話
コンタクトレンズには還暦を迎える頃までお世話になりました。
20年ほど使った最初の頃のレンズを、処方して下さった先生に診て頂くと「あなた上手に使ったねぇ、まだ使えるよ」と言って下さいました、処方がよかったのです^^
見え方が違う…と思ったのは小学校4年生の時でした。何気なく足元を見た時に、以前は地面の砂粒がはっきり見えていたのにその時はぼやけて見えたのです。 これが近眼なのか…と少し戸惑いましたが、父親が強い近視だったので(遺伝だからしょうがない)と思いました。
遺伝のせいにしていましたが、今考えるのは成長期における本の読み過ぎです。それもよく言われた”30㎝離して読む”と言う姿勢ではなく、縁側で姉や弟と一緒に寝転んでとか、縁側に座って足をぶら下げ背中を丸めて本に没頭して読んでいたから、と思います。 親に言われた時だけ姿勢を正していましたが、親の目が行き届かないことの方が多かった… でも、「足りないものがあるから買ってきて~」と度々買いに走らされたのは母の戦術?
親の外出時のお土産はいつも本でした。梅田のデパートまで出かけた時などのお土産は、一人一冊の本でした。年の離れた弟が生まれるまでは、姉と私と弟(上下の年の差は五年)は毎回お留守番が楽しみでした。それぞれに三冊の本が与えられる感じがして嬉しく、もうそれは夢中で読んだものです。何しろ知らないことだらけの子供が本によって世界がグーンと広がるのだからたまりませんでした。
小学校の高学年になると夏休みには学校の図書館に毎日通いました。一人3冊まで借りて帰ることが出来たのですが、若い女性の優しい司書さんは、私と弟に5冊づつ借りてもいいと言うことにして下さったのです。ほぼ毎日両手に本を抱えて帰り、私たちはどれ程の本を読んだのか~
弟は幼稚園に入る前から(私の)本を読んでいたので、小学校五年の時には担任の先生から「漢字博士」の”称号”を頂き、本は”ななめ読み”の為、ページをゆっくりめくりながら読んでいる感じでした。
過度の読書の結果として弟は強い近視、私もそれほどではないものの強めの近視となり(姉もそこそこ)、眼鏡を持っているものの授業以外では掛けませんでした。高校を卒業する頃コンタクトレンズが出回り始め、早速眼科で作っていただきました。天神橋筋商店街近くの眼科だったのですが、レンズをつけて退出し商店街へ出てみました。 するとどうでしょう、商店街のずっと向こうの方までお店の看板が実にはっきり見えるではありませんか❣ その景色は今も忘れられません~。
コンタクトレンズは本当に有り難いものでした。朝メイクをした時に付けて会社へ行き、夜帰宅するまでそのままなので、誰も私を近視だと知りませんでした。
ところが会社のバスケットボール部で試合に出た時に、”目からうろこ”ではありませんが、目からレンズが外れてコート上に落ちたのです。レフェリータイムが掛かり、皆で一緒にレンズを探したところ仲間が見つけてくれて・・・皆の笑顔と共に試合は再開されました^^
私が近視であることはその時バレバレになったのでした。。。
コメント
コメントを投稿