ハリーと私
今日の大阪では、午前中は日が差して穏やかないいお天気でしたが、 昼下がりのひととき強い雨風に雷鳴も轟き、パソコンの電源を一時切りました。 近所のワンちゃんの元気な哭き声もそれまで聞こえていたのですが、雷に怯えたのか哭き止んだようでした。
先日テレビを見ていると我が家の愛犬、亡きハリーそっくりの、思わず「ハリー(^^)/」と呼びかけたくなるほど顔がそっくりの柴犬がチラッとながら画面いっぱいに出て来ました。
同じ犬種の犬なら皆同じ顔に思われそうですが、少しづつ違っていると思います。しかし、ハリーとそのテレビの仔は、オリジナルとコピーのように丸っきり同じ顔でした。そう認識するとテレビではなくてリアルであって、「ハリー!」と呼べば、喜んで私の腕の中に飛び込んで来そうな錯覚さえ覚えました。不思議ですが、それは幸せ感を現実に伴う一瞬でした。こんな感覚は初めてでした。
夫が救急車で運ばれるとき、車の傍から離れようとしないのを無理やり家の中に閉じ込めました。そしてハリーはそれがお父さんとの最後の別れとなったのでした。
その夜、天国へ旅立った夫の傍から離れてハリーの様子を見に帰ると、ハリーは当時もう足腰がよろよろしていたにも拘らず、自分の居場所の通路7㍍を猛然と以前のようにダッシュで行ったり来たりして、「お父さんはどこ!?どうしていないの!?」と私を問い詰めるようでした。
私は直ぐハリーを抱き上げて、家の中の各部屋を全て開けて見せて回りました。そしてハリーに「ハリー、お父さん…バイバイ…」と言うとハリーはすべて理解したように見え、それからの態度は至極落ち着いたものになりました。
ハリーは歯槽膿漏から来たと獣医さんの言われる病気でドンドン状態が悪くなって目を離せなくなりました。夜でも私の姿が長時間見えないと大きな声で「ワーン!」と叫び、私はその都度何をしていようと先ず「ハーイ」と答え、2階からハリーの傍へ駆けつけるのでした。ついにはコンクリートの通路に使わなくなった布団などを敷きそこで夜は横になりました。
(もう限界だろうな)と思ったある7月の朝、ムーンストーンのような綺麗な白い目(白内障でした)で瞬きもせず、じーっと私を見ていたので「お母さんありがとう」と言っているんだな、と思いました。犬として、とても美しい顔でした。
そしてその内、目がピクリとも動かなくなりました。ハリーがお父さんの下へ旅立ったのでした。神様から預かった命を、神様にお返しした気持ちでした。
私たちの人生を豊かにしてくれた17年8か月でした。
散歩に出発です、準備OK👌
このスーダンから来た隣人もハリーを可愛がってくれました
人に可愛がられ、人と遊ぶのも大好きのようでしたが、 私はハリーが仲間同士で遊ぶ時間を大切に思っていました。この仔はご近所の仲良し君です ハリーが我が家に来て以来、ご近所にワンチャンが増えました
中之島公園で、薔薇の季節
元留学生の招きで京都の大学の学園祭に行った帰り休憩したお店で
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