昭和はあくまで遠く~


近所に空き家・空き地になったお家が4軒分ありました。この机の前の窓を開けるとその内の三軒は見渡せる範囲にあります。昔の空き地はすぐ子供の遊び場になり、子供の甲高い声や笑い声など聞こえてきたものですが、静かなうちに重機の音などが聞こえてくるようになり、あっという間に駐車場が3軒分出来ました。

我が家のお隣も、借家に一人住まいの男性が立ち退きを迫られた末に、駐車場になりました。立ち退かれたことも知らず、駐車場の為の地ならしをする前日にパーキング会社のセールスの男性に一連の事柄を聞かされたのでした。

非常に近接していた隣家が無くなると、我が家のそちら側の壁は何十年前の古い板壁が露出して、家の他の部分と違和感があり、リフォーム会社と相談して急遽やり替えることになりました。パーキングのこちら側1車室分を、日中”時間借りして”です。寝耳に水の話です。

そしてパーキングを運営している会社は「当社はフェンスをしないんです。法的にも問題ないですから」と言うのでした。地主さんに申し入れ、地主さん親子と話し合いをしたときは息子さんが「車室を1台分減らしても、うちの敷地内でフェンスを設置します」と言うので、私は心配しながら同席していたお母さんと握手をしました。すると横浜から話し合いに駆け付けた息子さんは「アオヤナギさん、私も握手をさせて下さい」と言われ、(あぁ、これで解決かな)と一度は思ったものの、パーキング会社の大反対でフェンスは設置されないままでした。しょうがないので私は自分のギリギリの敷地内に自分で費用を出してリフォーム会社にお願いしたのでした。


最後に残った空き家は、普通の民家とはひと味違うコンクリート打ちっぱなしの小洒落たデザインのお家でした。しかし2年程前に老いた母と叔母を抱えた五十代の女性が自死をしたので、彼女を頼りにされていたお二人の老いた姉妹が施設に入られて空いたお家なのでした。

色々な家族がこの素敵なお家を見に来ました。ようやく決まったように見えたある家族が少し家に手を加えたように思われ、(コロナ下でも話が進んでいるのかな)と思った矢先、バッタリ人の出入りが無くなりました。噂が耳に入ったのかも知れません。

それがこのひと月ほど前から急に、工事音が土日を問わず鳴り響いていたと思ったら、玄関に表札にしては大きい金属板が取り付けられ、企業名が刻印されていたのでした。そして先ごろ女性の社員らしき人が、挨拶に来られたのでした。


先ずは空き家が空き家のままで無くなって良かったです。              が、昔の日本人の他人を気遣う情の厚さはどこへ行ってしまったのでしょうね。私にも後悔はあります。非常に内気な、顔を合わせると会釈がせいぜいだった、亡くなってしまった女性に何とかして声を掛けて仲良くなれたら良かったという思いが拭い切れないでいます。



                                 このような忘年会、今年は何処へ

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