創業400年以上ということ・・・建装工業株式会社
久しぶりに江坂に行きました。昔は東急ハンズが近くになくて江坂まで行って、あれこれ珍しいものを買うのが楽しみでした。そして今もあるのかどうか、「フォルクス」というステーキのお店で食事をするのも嬉しくて、江坂は気持ち的に今よりずっと近かったのです。
今週水曜日、機関紙に広告を出していただいている建装工業(株)関西支店に行ってきました。ボランティアグループのナルクいちょうの会ではユニークな会員さんにインタビューして記事にしていますが、今回「本家 柴藤」さんと一緒に登場していただくことにしたのです。
地下鉄御堂筋線の江坂駅を出ると高速道路が北へ一直線にどこまでも伸びているので、それを背骨のように考えれば分かり易く、方向音痴でもあまり間違わないで目的地へ辿りつける江坂の街並みです。この千里まで一直線の高速道路を車で走るのも大好きでした。高速を降りて目当ての場所までにゆったりなだらかな坂もあって大きくバウンドして車が進んでいくのは気持ちのいいものでした。
さて建装工業さんに、お約束の3時きっかりに着き(偶然ですが、遅れないでよかった!)常務取締役でもいらっしゃる支店長さんと応接室でお話ししました。「時代に先駆け、昭和50年代からマンションリニューアル事業に進出した業界のパイオニア的存在、国内トップクラスの業績」などと経済誌ダイヤモンドの会社紹介記事にあります。
会社のルーツは徳川幕府が開かれたときに既にありました。それまでの実績があったからでしょう、幕府御用達の漆工場長として三十人扶持の禄高で、漆塗り職に従事したと社史にあります。何と400年以上もの、塗装業としての歴史がある会社なのでした。漆からペンキに替わり、マンション以外でも種子島宇宙センター発射装置塗装工事、明石海峡大橋ケーブル塗装工事など、最近では東京スカイツリー塗装工事も担当されました。
歴史のある会社だからと安閑としていたのでは世間に取り残され、いつか忘れ去られてしまいますが、お客さんの立場に立っていち早く需要を察知し、また社会の要請に全力で応じて来られたからこそ、いまの業界№1という地位を維持しておられるのだと思うのです。
お忙しい時間を割いて取材に応じて下さった支店長さんは、終始温かい笑顔でお話してくださり、カメラもICリコーダーも忘れて赴いた私の当初の不安もいつしか消えていたのでした。“上司にしたいナンバーワン”の芸能人にもましてダンディーで素敵な方でした。
今週水曜日、機関紙に広告を出していただいている建装工業(株)関西支店に行ってきました。ボランティアグループのナルクいちょうの会ではユニークな会員さんにインタビューして記事にしていますが、今回「本家 柴藤」さんと一緒に登場していただくことにしたのです。
地下鉄御堂筋線の江坂駅を出ると高速道路が北へ一直線にどこまでも伸びているので、それを背骨のように考えれば分かり易く、方向音痴でもあまり間違わないで目的地へ辿りつける江坂の街並みです。この千里まで一直線の高速道路を車で走るのも大好きでした。高速を降りて目当ての場所までにゆったりなだらかな坂もあって大きくバウンドして車が進んでいくのは気持ちのいいものでした。
さて建装工業さんに、お約束の3時きっかりに着き(偶然ですが、遅れないでよかった!)常務取締役でもいらっしゃる支店長さんと応接室でお話ししました。「時代に先駆け、昭和50年代からマンションリニューアル事業に進出した業界のパイオニア的存在、国内トップクラスの業績」などと経済誌ダイヤモンドの会社紹介記事にあります。
会社のルーツは徳川幕府が開かれたときに既にありました。それまでの実績があったからでしょう、幕府御用達の漆工場長として三十人扶持の禄高で、漆塗り職に従事したと社史にあります。何と400年以上もの、塗装業としての歴史がある会社なのでした。漆からペンキに替わり、マンション以外でも種子島宇宙センター発射装置塗装工事、明石海峡大橋ケーブル塗装工事など、最近では東京スカイツリー塗装工事も担当されました。
歴史のある会社だからと安閑としていたのでは世間に取り残され、いつか忘れ去られてしまいますが、お客さんの立場に立っていち早く需要を察知し、また社会の要請に全力で応じて来られたからこそ、いまの業界№1という地位を維持しておられるのだと思うのです。
お忙しい時間を割いて取材に応じて下さった支店長さんは、終始温かい笑顔でお話してくださり、カメラもICリコーダーも忘れて赴いた私の当初の不安もいつしか消えていたのでした。“上司にしたいナンバーワン”の芸能人にもましてダンディーで素敵な方でした。
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第2回マンション・クリエイティブ リフォーム賞を受賞(受賞は2年連続となっています) 写真の建物かどうかは不明です |
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