大和郡山,その魅力

昭和58年に復元された追手門
映画のロケにも使われるそう
この前の日曜日、奈良の大和郡山へ“司馬遼太郎の世界で遊ぶ”というグループから行ってきました。毎月1回の道行きで昨年末に100回を超えたところです。最近は司馬さんと離れた世界でも遊んでいますが、私の大好きなグループです。ベースはボランティアグループ、ナルクでサークル活動の一環となっています。

天守台。石垣の中に無数の石仏や
礎石などが使われている
筒井順慶が築城した郡山の地は、豊臣秀長や水野・松平・本田などを経て柳沢家七代に至り城下町として完成しました。町を巡る道は江戸時代からの道が網羅されて残り、16世紀には生業ごとに茶町・雑穀町・綿町・豆腐町・紺屋・材木町などに区分けされ、また堺町・奈良町・今井町は出身地ごとに分けられたのが今に残っています。魚塩町・本町・柳1~4丁目は郡山が広大な薬草地だった頃から(平城京ができる前から!)住んでいた人たちの町だそうです。

腰まである大きな水甕の中、
まるで金魚が泳いでいるよう
城下町を訪ねる度に感じるのは、そこに住む人々の誇り、です。昔訪ねた津和野もそうでしたし、母の出身地姫路でも、最近では岸和田でもそう思いました。お城を愛し、城主であったお殿様を今なお敬慕し、自分たちの祖先・土地を大事に守る…そういうことが共通しているような気がします。

余談ながら、ここ私の地元も大阪城下ですが、みんな大阪城が好きだと思います。近くに与力町・同心町・綿屋町・茶屋町・壷屋町・樽屋町などがありました(町名変更された町もあります)。

金魚の描かれている生活雑貨が
多種あり、印籠にまで可愛い姿が
大阪は戦災に遭い、多くの古い建物を焼失してしまいましたが、郡山はお城こそ明治の廃藩置県で取り壊されたものの、立派な古い建物が残っていました。

大和郡山、と言えば…金魚、ですよね~。18世紀に柳沢吉里が中国産の金魚を養殖し始めたのですが、改良を重ねて今の美しい金魚が出来上がり、世界各国へ輸出しています。私たちが訪ねた日は小中学生たちも参加の金魚すくい大会が催されていました。

菊屋の“御城の口餅”
このお店の誇る看板商品

私にとっての新しい発見もありました。和菓子の“菊屋”の本店は、大阪高麗橋だと思い込んでいたのですが、ここ大和郡山なのでした。
お城の表門近くにあり、400年の暖簾を守るお店の佇まいは、武家社会を生き抜いた商人の心意気を感じさせるものでした。

コメント

  1. W杯も侍ジャパンは残念ながら敗退、世界の壁は厚いですね。
    ”司馬遼の世界”ですか…私も作品は殆んど読ませて戴きました。何といっても「竜馬がゆく」ですよね。晩年といっても72才という若さで突然死されたのは、バブルの崩壊が始まった最中でしたね。たしか「この国のかたち」を書かれていて、ビックリしたのを覚えています。
    生きておられたら90才になられますが、軍隊経験の有る司馬さん自身は、”集団的自衛権”の閣議決定をどう評論されるでしょうね。

    返信削除
  2. 侍ジャパンが敗退してからテンと興味が無くなり私もワールドカップ観戦から撤退しました。。。でも新聞では各国の個性あふれる選手の情報を面白がって見ています。

    司馬さんの存在を今得られないことは、日本にとって大変不幸なことに思っています。
    「命をかけて憲法を守る」と明言しておられたようですから、司馬さんの影響力であるいは方向性が変わっていたかもしれません。

    日本の国や国民のこと、国の将来を真剣に考えている国会議員がどれだけいるのでしょうか?過日報じられていましたが、公明党の党員以外の人から「自民党に合意しないでほしい。頑張って!」という声が多数寄せられたそうです。でも結局は与党の地位に留まっていたかった公明党でした。

    自民党内にも“集団的自衛権”に反対の人はいるけれども、表明すると党内に居場所がなくなりひいては失業に至る、と考えて周りに同調し、流されるだけの人が多いのだろうと
    私は考えています。

    他のことでは、拉致被害者の全員帰国が果たされればいいですね。あの国の「すみませんでした」の言葉が欲しい…

    返信削除

コメントを投稿

人気の投稿