エルセレーノからポーランドへ、そして・・・

ある年のある月のある土曜日、朝食を終えたテーブルでお茶を飲みながら、新聞を広げてぼぉーと活字を拾っていた。時間の過ごし方として一番好きなことの一つだ。
突然、ピンポーンと鳴った。9時半、誰?何?と思いながら「はい」と出た。「エルセレーノにいたケイです。」なんとホトンド5年振りだ。急いで階段を下りる。ドアを開けると懐かしくも、少し大人の男になったケイ君がいた。

5年前大学を卒業して、彼は従兄の仕事を手伝うために遠くポーランドへ向かった。男性としては華奢な体つきで性格もやさしく、まだ可愛い少年の面影の残る24歳だった。スラブの屈強な男達に伍してビジネスをやっていけるだろうか、と少し心配だった。

そのうちポーランド語の学校へ入り、友人もできたと知らせが来た。遙かな国からのメールに感激した。これがガールフレンドだと写真も送ってきた。(ああ、彼の地に馴染んできたのだ)と、やっと安心した。従兄を助けて母国・中国や韓国と、ポーランドを行ったり来たりして、本格的に働き始めた。

それから2年、突然私の前に現れたのだった。ポーランドも不況となり一人中国へ帰ったという。そして上海で日本の繊維会社に就職し、今回奈良の本社へ出張してきたらしい。1週間ほど大阪近辺の関連企業を視て回るのだと言いながら名刺を差し出した。”上海出張所長”の肩書が輝いて見えた。

中国で買ってきたという、ファー付の皮手袋の包みを私に手渡しながら頬笑む顔は、はにかみ屋さんの彼らしい照れを含んだ5年前そのままの顔だった。


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