特別展「国民と共に歩まれた30年」
昨日、京都の高島屋へ行きました。
ご結婚パレードで使われた儀装馬車 (テレビで見た本物が・・・!) |
特別展「国民と共に歩まれた平成の30年」があり、普段から天皇、皇后両陛下を敬愛してやまない私のこと^^、年明け早々に新聞で知った時から足を運ぼうと決めていました。
友人と行くはずでしたが、彼女がインフルエンザに罹ってしまい一人で向かいました。
昭和天皇のことは、戦前“現人神”と称せられた頃の余韻のようなものを子供の頃から感じていて、畏敬する気持ちがありました。お隠れになってからいろいろな逸話が世に出るにつれて、意外に質素にお暮しになっていたことを知り、親しみを感じたものでした。
今上天皇陛下のご成婚は私が中学生になったばかりの頃で、美智子さまの美しさや知的な佇まいに胸を打たれたのを覚えています。独身の皇太子殿下であられた頃は、大変失礼ながら(この方が天皇になられて大丈夫?)という感じが否めなかったのですが、美智子さまを得られたのち、ご家族が増えるにつれて印象が変わりました。
そして平成という御代で天皇陛下となられると美智子皇后陛下とご一緒に、30年間で47都道府県を2回巡られたそうです。85歳のお誕生日の記者会見で「・・・・・天皇もまた、自らのありように深く心し、・・・常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました」と語られました。皇室が国民と共にあることを希求してこられた天皇陛下にとって、時に激務であったかも知れませんが皇后陛下が常に付き添ってこられたことが、大きな支えであったことは言を俟ちません。
両陛下がご退位後ご公務から退かれても、国民がお二人を忘れることはあり得ないと思い、お二人も国と人々の為に祈り続けて下さることと思っています。
特別展会場は大勢の人が、広い会場に展示された写真パネル236枚、各都道府県からの献上品やゆかりの品々約100点を熱心に観て廻っておられました。
写真は報道されたものが中心でどれも見覚えがあり、皇室に流れた時の歩みを感じると共に、翻って自分に流れた時間の長さを想いました。
広い会場を半分ほど回ったところで疲れと空腹を感じ、会場はレストランフロアだったので、(その辺りのどこかに)とも思いましたが、一旦出て祇園四条まで戻りました。お墓参りの帰りにいつも立寄る美々卯に引き寄せられるように入り、いつもの“古都”というお料理に辿り着きました。やはりあっさりしたものがいいです~~。 店内は“特別展”のせいか格段に空いていましたし~。
(このまま帰ろうかな)とも思いましたが、やはり全部見たいのと大阪府が何を献上したのかを見ていなかったので、四条河原町まで再度足を向けました。
大阪府からの献上品は平成2年の“国際花と緑の博覧会”に行幸された時のもので、直径40㎝ほどの竹細工「平壺型花器」でした。案外地味なもので(もっと華やかなものは大阪には無いの)と思わないでもなかったです。
こうした献上品、例えば雲仙普賢岳の火砕流の発生した6月3日の頃、噴火後の雲仙の土で作った直径50㎝ほどの放物線を何重にも描かれた飾り皿がお身近に置かれるといいます。
やはり噴火で全島避難した三宅島で焼かれた飾り皿は初夏に飾られる。他にも終戦の日の頃、御所のお居間に架けられる絵画「白い鳩」、
東日本大震災に関しては3月11日前後に岩手県大槌町のハマギクの写真などゆかりの品々を、
さらに12月の障害者週間が始まる頃には障害者施設から送られた障害者の手作りの作品が並べられる。等々・・・
こうしたものを折に触れて眺められることで、ゆかりの人々に思いを寄せられているのでしょう。
帰途、京阪電車祇園四条駅への階段を降りつつ、軽い疲れを感じながらも、気持ちは清々しく満足感に溢れていました。
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