淀川歴史探訪の船旅
昨年10月ごろインターネットを何気なく見ていた私は、大阪市内の大川で遊覧船を運航している大阪水上バス(株)が、昔の三十石船の航路の一部を再現していることを知りました。淀川沿線鉄道の発展に伴い衰退していった淀川の舟運を年に数回(5月と11月)蘇らせるこの素敵な企画・・・これを見逃すことの出来なかった私がボランティアグループの皆さんに提案した処、賛同を得、最終的に16名の参加がありました。
船が閘門の中に入り、後ろの扉が これから閉まります |
5月23日、船は大阪天満橋の八軒家浜を70人ほどの船客を乗せて9時半に出航しました。どんより曇った空は残念でしたが、雨が降らないとの予報はなによりでした。先ずは大川から淀川本流への関門ともいうべき「毛馬の閘門」、いつかテレビで見たパナマ運河の小型のようでした。大川と淀川には水位の差があり、間に分厚い上下する二枚の壁に仕切られた「閘門」という“水たまり”の中に船が入ると、行先の川の水位に合わせます。赤信号で少し待ちましたが、30分ほどで閘門を通過し淀川本流に船は進みました。その朝の水位差は、大阪港が満潮ということで、私の目測では1m余り淀川が高いと思われました。
枚方付近の浄水場から北摂地区へ 水道水を送る水管橋(直径1.2mx2連) |
語り部は枚方の淀川資料館にお勤めしていたという男性で、淀川の水利・治水などに詳しく、川に架かる多くの橋の中で浄水場から対岸市へ水道水を送るための橋(水管橋)があることなども私は初めて知りました。
船の中から土手を眺めると、土手は高くどこまでも伸びていて、その上に見えるマンション群などが無ければ、三十石船からの展望もこうではなかったかと思いました。周りの席の人達が配られた包みを広げだしたのは、11時前、「早いけど、いっかー」とこちらも昼食開始。竹の皮の中に海苔と高菜が巻かれた2つの大きな丸いおむすびと卵焼き・梅干・煮豆が入っていました。昔の人も「喰らわんか船」からおむすびやお茶など買って食べていたのでしょう。 大福餅や草団子も?そしてもちろんお酒も…そうそう子供達もたまには乗っていたのでしょうね^^
土手の向こうのマンション群が無ければ 三十石船から眺めていた景色と変わらないかも |
今日は、5月と云うのにこの暑さ、お元気でご活躍ですね。お弁当付きで往時の京街道を眺めながら、遡上の舟旅は『くらわんか舟』の現代版ですね。。。何より『毛馬の閘門』を通過できるなんて、誰もが出来ない貴重な体験でいい企画でしたね。
返信削除鉄道が出来るまで『三十石舟』は京と大坂を結ぶ重要な交通手段だったのですね。
八軒家から枚方、淀、伏見まで毎日何百隻も往復していたのでしょうね。
上りは一日、下りは約半日の行程だったと。。。過書船の話を聞いた事が有りました。
枚方にはお茶屋さんが沢山有ったとか、古い屏風絵にその模様が描かれているのを見たことを思い出しました。
また今年も早々と暑くなりそうな気配ですし。。。このような水辺の風景は、気分的にも涼しく感じますね。茲許二、三日の厚さには閉口して、昼間の外出も「クラクラ」して嫌になりますが。。。熱中症にくれぐれもご用心をお願いします。
お久しぶりです、お元気でしたか?ホントに今日の蒸し暑さは5月とも思えないほどでしたねぇ。インドの45度Cと云うのも大変ですが地球規模でどうかなってしまうのかと心配です…
返信削除やっぱり何でもよくご存知ですね。八軒家からの遊覧船が伏見まで行ってほしいという希望も水上バス会社に寄せられているそうです。淀川の流れは、川底にも工夫があったり、水生植物にも気を配られているのだと思いますが、とにかく取水し易いように(ですって)ゆったりと穏やかに流れています。何時間乗っていても船酔いする人はいないんじゃないでしょうか。
枚方、といえば「ひらかたパーク」しか知りませんでしたが、古い民家がそのまま残っていたりして、とても興味深い町でした。お洒落な新しいお店や建物も雰囲気を壊すことなく寄り添っていていい感じでした~。いつか時間を見つけてもう一度いってみたいとおもっていますよ。鍵屋資料館もゆっくり見て回れたらもっとよかったと思います。
これからの時期、日中の陽が高い時間帯は出歩かない方がいいですよ。。。「クラクラ」というのは怖いです。。。熱中症もホント怖いですものね。
初夏の自前俳句です・・・遊船は追う三十石の船の影
遊船の目線で辿る土手のあを