俳句

人生で最初に俳句を作ったのは小学生の頃でした。新聞部だったので記事を作る必要に迫られて、また顧問の先生に言われたのだと思いますが絞り出したというか、ひねり出したというか、でした。

その後27歳の頃、会社の俳句部に入ってつたない俳句を年に一度、“貿易風”という句集に18句を発表していたのが8冊になっています。東京本店、大阪支店、名古屋支店の3店に俳句部があり、年に一回持ち回りで「三店合同句会」がありました。勿論毎月の句会や吟行も出席しました。

その頃に作った句から…燃え残る夕日宿して夏木立…一瞬にして山姿かえ霧流る…菊枯れて尚画材とし絵具溶く…周山は秋の始めと君は言う…全山の紅葉初めのこの一枝…などなどです。

最近ナルクいちょうの会で俳句同好会ができ、昨日最初の集まりがありました。入るつもりはなかったのですが、なんとなく最初の会に顔を出しました。あと「俳句は初めて」という人が3人出席されました。主宰は85歳の元数学教師の男性です。70歳から俳句を始めたそうです。とても熱心に研究しておられ、俳句誌に投稿して実績を挙げている立派な方でした。「またやってみようかな」と思いました。…秋の空飛行機雲の溶けてゆく…山茶花の角を曲がるやスポーツカー…本日のニ作

コメント

  1. 主宰の先生は70歳から俳句を始められたとか。その意欲に尊敬の念を感じますね。。。俳句には季語がいるとか、いろいろ決め事が有るのでしょうね。自分はこの年まで句集を少し読んだくらいで、真剣に創作したのは恐らく二三句です。
    私の先輩で俳句集「京鹿子」を毎月、編集されている方がおられまして、毎月千から千五百の句が集まり全部目を通し、読み上げ校正して冊子を発行されるそうです。
    わたくし的には芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」「山寺や石にしみつく蝉の声」と詠まれている…「しみ入る」とか「しみつく」という表現に、現地「山寺」に旅したとき、同じ季節感でしたので感動したことを想い出しました。
    例えば貴方の「飛行機雲のとけてゆく」といった感じで…いいですね。
    中々私にはそのような言葉が浮かばないのでちょっと無理ですかねぇ(笑い)

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  2. 主宰の先生の先生は、お弟子さんの俳句を、詠んだ時期まで覚えておられて、何かの時に引き合いに出したりされるそうです。お話を聞いていると一芸に秀でる人は只者ではないんだな、と思います。「京鹿子」を編集しておられる先輩の方も素晴らしいですね。どんな句を詠まれるのでしょうね。いつか「京鹿子」に巡り合いたいです。

    「山寺」に旅されましたか…! 私も30歳手前で夏に東北旅行した際に立ち寄りました。階段がずいぶんあってきつかったのを憶えています。現地に行かないとできない句、というものがあって、芭蕉の句も山寺でこそできたのだとその時思いました。


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