師走の便り


         アケビってかわいい実ですね、一度食べたことあります


11月に入って訃報が届き始めましたが、師走になってからの一枚の訃報を手にして私は頭の中が真っ白になり言葉を失いました。それは以前勤めていた会社の同僚の男性からでした。奥さんが10月に他界されたというのです。脳梗塞の後遺症で半身不随の彼を残して。。。

彼はいわゆるモーレツ社員でした。5歳下ですがお互い大阪人のせいか気が合って、大阪を離れてからもずーっと連絡を取り合っていて「インドネシアに来て、面白いよ」「バンクーバーは綺麗な街だよ。日本人が沢山来てるよ。あなたが来たら大歓迎するから」などと行く先々から便りをくれたものでした。


帰ってきた東京でのある日曜日、ホームセンターへ自転車で着いた時に転び、手がしびれるし、言葉がちゃんと喋れないので同行の奥さんに救急車を呼んでもらったそうでした。          それは脳梗塞で、その時以来右半身不随となり言葉も普通に喋れなくなりました。

そんな状態でもメールを交わしていたのですが、会社へは仕事に行っているし(多分これまでと違う部署で)、東名高速道路を走って(多分別仕様の車で)妻の実家へ行ったりしていると教えてくれました。それで近々また妻と大阪へ行くので会いたい、と言って来ました。


私は障碍のある人とどう向き合えばいいか分からず、彼のお兄さんが毎日新聞の記者を引退後、毎日旅行のツアーコンダクターをされていたので、日帰りツアーの一つに申し込みました。そのツアーの途中で村の街道を歩いている時に、弟さんと机を並べて仕事をしていた事、今の彼の障害がどの程度のものか知って心の準備をして彼と奥さんと会いたい旨を話しました。驚きながらも弟の今の状態を話してくれ、応援してやって欲しい、会ってやって欲しいと言われました。私はこれでショックを感じても外へ表さない肚づもりが出来ました。

梅田の丸ビルで待ち合わせし、8階にある和食店へ行きました。やはり歩いたり階段の上り下りは数段でも困難でスピードは格段に遅く、小柄な奥さんが全力で支えていました。しかしお互いに会えたことが満足でした。


今朝、私はどうにもたまらず千葉県流山市のお宅へ電話してみました。やはり留守電になっていました。娘さんが二人いるのですが、長女は医師です。多分そちらでお世話になっているのかな、と思いながら留守電に話しました。「Kさん、どうしちゃったの?!今年のお年賀では二人で静かに暮らしていると書いてたじゃないの・・・」などと言っている内に涙声になり、「また電話なりお便りなりするから」とぼそりと言って受話器を置いたのでした。

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